何度も悔やんだ。
今からでも遅くはないと思ってた。
だからわかった奴が、知ってしまった奴が立場はどうあれ行動を起こすべきなんだと思ってた。
でも、それは独り善がりでしかなかった。


自分が出来なかったことを誰かにさせて、ああ自分の後悔を彼らにはさせなかったメデタシメデタシ。


――一見おかしくないようでこれほどおかしいことがあろうか。
自分が出来なかったから誰かにさせる。
これほど美しく醜いエゴイズムはあるまい。
なぜなら、この思考は、させる側にとってのみ都合のいい幻想だからだ。
させられる側の意思は? そんなものは存在を許されない。
させられる側はただ、駒として見なされ、自由意志など介入する余地はない。
もちろんそれはただの極論だ。
現実ではそこまで縛りは強くない(できない)ので自由意志は存在する余地はある。
けれども、その理念はやはり一方的な押し付けになる。


時代は変わったのだ。どんなに悔やんでもどんなにやり直したくても。
それはありえないことでありやってはいけないことだ。
彼らには彼らなりの夢がある。希望がある。
たとえそれがあまりにもちっぽけに見えたとしても、それでも口出しは無用だ。
なぜなら、俺たちはもう終わってしまったから。
だから後悔先に立たず。
やれること精一杯こなして欲しい。