俺は学祭に3年間以上関わってきたわけだが、その実本気で取り組んだと思うのは3年目だけかもしれないと思う。それほど感覚的に濃い1年だったわけだが、その3年目に俺は何をしたかというと、広告などを作ることだった。ビラ、ポスター、雑誌広告。今思えば出版委員会に入ればよかったと凄く後悔する位、知識もスキルも無かった。そんな素人な俺が、右も左もわからない状態で頑張ってこれたのも、のんとか宇土さんとか真崎とかゆんぼとかいろんな人にいろいろと世話になったおかげだと思う。安易なデザインでごまかしたり、単調なフォントを使いまくっていたのも今となってはいい思い出だ。プレパンフなんかも作ったな。みんなが委員長の誕生会に行ってるときに、次の日が締切だったから一瞬顔を出してすぐに帰って一晩中作業をしたこともあった。いつまでも出るのかどうか決まらないアーティストの情報のせいで広告が出来上がらず、ゆんぼと文句を言い合っていたことも懐かしい。
とにかく俺には何も無かった。街を歩いていろんな広告とかチラシとかを回収してはビラを作成するときの参考にしたりもした。配置や色使いなんかは特に知識が足らず参った覚えがある。文章の校正をなぜかしていた覚えもある。やる気のない文章を出してきたところにやはりゆんぼと一緒に文句を言っていたこともあった。ビラやプレパンフは難しい。企画を作るのも難しかったが、プレパンフやビラも難しかった。一番目にして欲しいところはどこか。入れておかないといけない情報は何か。必要な情報と思惑が常に天秤にかけられ、取捨選択と妥協のオンパレード。あとから情報の変更が来て泣きそうになりながらものんの「間に合うのならなんとかしてやりたいやん(こんな感じだったはず)」という言葉に、俺よりもWebで苦しんでる人間がそんなことを言うのに俺が蹴られるわけ無いじゃんと、尊敬の念を込めながら情報を修正したこともある。うん、のんは俺の中でそういう職人としての誇りっちゅうか行動理念を作る上でだいぶ大きなウェイトを締めている奴だ。彼に出会えて本当によかったと思う。
企画について企画部以外の人間がどこまでアドバイスするべきなのか。なんのための大学祭なのか、誰のための大学祭なのか。俺のため?大学のため?それはわからない。一人一人違うだろう。なんにせよ祭りなんだよ祭り。人が集まり、各種催し物を見て楽しませる。出店もある。大学のお祭りなんだから、大学にちなんだ催し物があってもいいだろう。つまるところ学術的なことがあったほうが大学祭っぽいだろう。でもとにかくエンターテイメントだろ。すべては。君達は、俺達はそれがどんなにお堅いものでも馬鹿なものでも根っこには必ず「面白さ」を置くべきだ。つまらない企画など誰も見ない。それはつまり、祭りじゃなくなる。だからお前ら祭りなんだから楽しいものを作れ。自分達だけがわかるなんてオナニーみたいなもんはいらない。誰が見ても面白いと思えるものを作れ。そんなの無理だなんていわせない。そんなことはやってみてから言え。やる前から不可能だとか無理だとかいってるからつまんなくなるんだよ。昔ドリフがやってた8時だヨ!全員集合なんて、どんな無茶な要求だって必ず形にしたっていう話だ。毎回生放送で時間のない中でも頑張って作っていた奴らが居るんだ。出来ないだなんてのはいいわけだ。やりたくないの間違いだろ。無理も無茶もする前に楽なほうに逃げてるだけなんだ。でも結局のところこの発言は誰よりも自分に対して言いたいわけで、もっともっと頑張って活きろと。そう、活きろ。生きろじゃなくて活きろ。死んだ魚の目をして生活してる自分がくだらない。だから、もっと無茶しろ。明日死んでもいいくらい無茶して充実して活きろ。やりたいことを30歳までに終わらせるつもりで活きろ。あと8年でやりたいことを終わらせろ。とか言っていて今思った。俺やりたいことなんだろう?広告作るのもいい、漫画描くのもいい、イラスト描くのもいい、小説書くのもいい。でもどれもこれも結局今の俺じゃ中途半端でしかない。やってみたいけどダメだったとき辛いからチャレンジできないチキン野郎だな、貴様。つまるところ本気でぶつかって失敗したときのことが怖いから安全牌ばかり切るつまらん男になってしまったわけだ。なるほどつまり、意気地なしは俺だったわけだ。何度この結論に至ったんだお前は。5度か6度かそれ以上か。もう本当にだめだな、俺って奴は。
ああそうそう、話が脱線した。結局のところ広告ってなんだろう。誰かの広告論を聞いてみたい。あなたにとっての広告ってなんですか?広告ってのは面白い。芸術的な要素と大衆への共感を呼ぶべき要素の融合というか、とにかく美しいだけではダメで、誰かの目を引くように作られていなければならない。そこには人間工学の分野も入ってくるだろうし、文章なども入れば文学的な要素も絡み始めとても複合的なバランスの上で作られる。理論的でいて芸術的な要素のバランス、そうバランスの美しさが求められるから面白い。作りたいから作るのではいけないストイックなところに俺は惹かれる。限られた条件で如何に美しく機能的にするか。時にはその条件を逆手に取る意外性など限られているはずなのに多様な可能性を持っているもの、それが広告だと思う。たとえば、ゴミ箱の後ろに長方形の書かれた板を置く。そうするとそのゴミ箱はバスケットゴールのように見えてくる。そこにNIKEと書いておけばそれだけで広告になる。そういう発想のユニークさなどによっても広告はいろんなことができそうで面白い。